七日の王妃11話ネタバレ
行かせた?へまをするなら消えてという。怒るのはわかるがそんな言い方はない。ヨクを兄上を救ったのは私よ忘れたの?兄上に似た死体を必死に探して、そして身代わりの死体を作った。なぜそんな女のためにというミョンヘ。
どうなった?ときく燕山君。申しわけありませんまだ見つかりませんというチャン・ノスク。そこにシン・スグンが史曹をもってあらわれ業務をこなす。それだけかチェギョンの助けを乞うのかと思ったがという燕山君。娘を信じて愛おしんでいるように王様を信じています投獄されても一言も発しない娘を見て見ぬふりをしている王様どちらも何か考えがあってされていることもしも心配事があるのなら相談してくださいというシン・スグン。
投獄されていたチェギョンは矢がささった傷が悪化しつつあった。物音がすると来てはならぬのにもしやと思ってしまいます身勝手な想いですと思うチェギョン。
義禁府にやってきた晋城大君は入ろうとしてソノに止められる。そこに燕山君もやってくるが入らずに帰る。
チャスン大妃が兄上の死を知り手に入れた毒薬よ。チェギョンを助けるためにあなたがあそこに行けば仲間もすべての計画も全部だめになるというユン・ミョンヘ。
投獄されているところに新たにはいってくる罪人に声をかけるチェギョン。それは、ユン・ミョンヘだった。私のように後ろ盾のない貧しい女の人生過酷な生き方でも下品な生き方でも先は同じです。そうしたらこのざまですという。ほほえみかけ暖かくしてと自分がかけていたものを彼女にかける。献上品の盗人について聞くチェギョンに今からでもご存じのことをはなされたらというミョンヘにあの方がここに来なくてすむから待たないと言いました待ちません私のせいでもう死なせたくありませんというチェギョン。
助けにいかない晋城大君にいらだつソノ。なぜ助けにいかないのですかというソノに、でも無力だ後悔してるお前を助けたこともという本心ですかならここに用はないと言って去るソノ。
ヨクはなぜ姿を余にあらわさないあらわさないということは余がやったと疑っているに違いないそして復讐に王座を狙おうとしているに違いないと言って酒を飲む燕山君。ただの他人のそら似ならよいのに今度こそ本当に余がこの手で殺さねばならない。
チェギョンを城門の上に縛りつけてはというチャン・ノスクの策をきいてパク・ウォンジョンとユン・ミョンヘは策をねっていた。チェギョンを消すことですというミョンヘ。
牢獄でチェギョンの傷をみて、その体でずっと耐えていたのかと驚くミョンヘ。来てはなりませぬとうなされて夢をみているチェギョンに毒薬を飲ませようとするミョンヘにそれは何だという看守が実はソノだった。なぜここにというミョンヘに心配で来たのですというソノ。私も兄上が心配できたあいつが余計なことを言わぬようにときたというミョンヘを牢獄の柱に縛り付ける。刺客がきたので縛り付けていたのをほどく。すると刺客はチェギョンを牢から連れ出す。下手なことをすればあのものが死ぬいいなというミョンヘに心得ていますというソノ。
城門の上に十字架のように張り付けられるチェギョン。周りに兵を配置しました。
逃げた時に放った矢に塗った毒薬のせいで動けないのかもしれませんという刺客。あいつはそんなもので死ぬやつではないとうイム・サホン。
ソノとわざと喧嘩してチェギョンを守れということだなと友は策力に気づく。矢にさされたところが痛む晋城大君。もしや毒矢という友。毒矢にふれたチェギョンを思い出す心配する晋城大君は、友に医者を呼んでくれと友にいう。解毒剤を手に入れようとするがすぐに手には入らないという。
ソノが帰ってきて晋城大君に城門の上に縛られているチェギョンのことを話す。助けに行こうとする晋城大君。官軍と真っ向勝負しても解毒剤がなければ助けられない。解毒剤も拒むと思う水さえもおじょうさまは飲まない死ぬつもりですというソノ。
晋城大君はチェギョンを助けられるのは燕山君一人だけだと考える。酒場で酒を飲んでいる燕山君のところに矢で文を送る。その矢を放つ姿をみる。文には昭義門でシン氏が死んでるぞ殺してくれて感謝すると書かれてあるのを見てあわてて馬に乗って追いかける燕山君は昭義門に向かう。
そこにきた燕山君を晋城大君かと思いまぼろしをみるチェギョンは助けに来たと思いこのままでは殺されてしまうと絶望するが燕山君だったので安心して気を失う。そして、チェギョンを救う燕山君。助かりますよそのために王様をよんだのだからというソノ。
七日の王妃11話の感想!
物語を見終えての感想ですが、つらいせつない苦しい悲しい物語ですね。チェギョンを救いたいけど自分では救えない晋城大君。結局、燕山君に救ってもらうしかない。また、チェギョンはいつも利用されて本当かわいそうです。それでも晋城大君を想う気持ち。
燕山君の本当のヨクを想う気持ちを知りたいですね。ただ先王の王位を譲れということさえなければ弟想いのよい兄上でいられたのではないかと思います。